トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いています。

『悲しみよこんにちは』 フランソワーズ・サガン

一番好きな本なんて決められないけれど、一番読み返している本は間違いなく『悲しみよこんにちは』である。

毎年毎年、夏が来るたびに読み返す。

このバカンスの物語は、どうしたって夏の空気の中で読みたいですからね。

夏の旅行にも大抵持って行く。何度も何度も読み返したので、文庫本は擦り切れているし、日に焼けて茶色くなってしまった…。

ちなみに私が持っているのはこの写真(Amazonからお借りしました)の表紙の新潮文庫。1957年に出版されたバージョンだろうか。もともと古いものなのに、もう佇まいが完全にヴィンテージ。

読み返すために、新しいものを購入しようかなあ。

でも、朝吹登水子さんの訳が本当に好きなんですよね。新訳はどんな感じなんだろう。

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悲しみよこんにちは (新潮文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

 

 『悲しみよこんにちは』を初めて読んだのは、13歳か14歳の夏休み。

毎日暑く、家で退屈していた私に、「読んだら?」と母がこの本をくれたのだ。

自分の部屋でなんとなく本を開いたら、もう止まらなくなってしまって…美しい文章を慈しみ反芻しながらも、あっという間に最後まで読んでしまった。

読み終わる頃にはすっかり日も落ちていて、なんとも言えない空虚な気持ちで顔を上げたのを今でも覚えている。

 そんなことまで思い出せるくらい、夢中になって読んだ本だったのだ。

 

あらすじ

セシルは母を亡くし、パリで美貌の父(レエモン、40歳)と二人でくらしている17歳の女の子。ふたりは父の愛人エルザ(29歳)を連れて、南仏の別荘で夏休みを過ごすことにする。

毎日海で泳ぎ、夜になるとパーティーに繰り出す3人。セシルはシリルという学生(25歳)とも知り合いデートを重ねるようになり、楽しい日々を過ごしていた。

そんなある日、父が「パリから客が来る」と言う。父が呼んだのはアンヌ・ラルセン(42歳)。亡くなった母の友人で、幼いセシルを一時引き取って一緒に暮らしてくれたこともある女性だ。

彼女はデザイナーとして成功しており、離婚して今は一人暮らし。上品で頭も良いが、どこか冷たい印象を持つ女性。

明るく騒ぐのが大好きで、何も考えていないようなレエモン・エルザ・セシルとは対極にあるような存在だ。セシルはアンヌを好きではあるのだが、内心「私の夏休みは終わってしまった」と考える。

翌日、アンヌが別荘に到着する。出迎えたセシルは、エルザも滞在しているということを彼女に告げる。それを知らなかったアンヌの「顔が急にゆがみ、唇が震えていた」ことから、アンヌが父を愛しているのだとセシルは知ってしまう。

そのうちエルザと父がうまくいかなくなる。原因を作ったのはアンヌだ。

いつも美しいアンヌに父が惹かれ、エルザに隠れてアンヌにキスをするのだ。

エルザは出て行き、残されたセシルは憤慨する。パパは日の光に弱い女の子を海に連れてきて、その子が日焼けで醜くなってしまったら捨てるような男なのだ、と父をなじる。

アンヌは母親然として、セシルに遊ぶのはやめて勉強するように言う。また父と結婚すると言うのだ!明るくおしゃれでいつだって違う女の子がそばにいる父を、結婚することによってアンヌに縛りつけようとしている!

セシルはそれを許せず、エルザとシリルをそそのかし演技させることで、エルザと父の仲を復活させようと計画するのだが…。

 

「小さな悪魔」、フランソワーズ・サガン

なんとも魅力的なプロット。魅力的な登場人物。魅力的な文章。

これはサガンの処女作で、彼女が19歳の時に書かれたもの。

何度読み返しても信じられない。

セシルの機微はもちろん、セシルの観察眼を通して40代の父・レエモンやアンヌの気持ちまで雄弁に語りきっているのだから。

ただただ、完璧な小説だと思う。

少女の残酷性というのは、非常に面白いテーマで、例えば太宰治の『女生徒』なんかも同じテーマのもとで書かれているのだが、この作品はもう素晴らしすぎる。17歳の女の子の、無邪気を装った残酷さがこれでもかというほど書き込まれているのだ。

たとえば、エルザとアンヌという二人の年上の女性を、「エルザは赤毛で色素も薄く、日焼けでボロボロになっているのだが、アンヌはネズミ色の服を着て成熟した美しさを誇っている。深い碧色の目が美しい」と、冷静に観察するところ。

また、「父は大きな子供なのよ。アンヌから守ってあげなくては」とエルザをそそのかし、父がアンヌを裏切るように仕向ける狡猾さ。

はたまた、父を騙すためカップルのふりをするエルザとシリルを見ながら、「エルザはまだ若いし綺麗だし、シリルは美男子だから。なるべくしてなったカップルでしょう」と言って、父の競争心を煽るところ。完全に父という男の心を掌握し、コントロールしてしまっているのだ。

刹那的な日々を送るのが楽しいのに、アンヌはセシルに将来を見据えて勉強しろと言う。そんなアンヌにセシルは反発してしまう。それでも心の内では、エルザみたいな能無しになりたくない、アンヌみたいな美しく頭のいい自立した女性になりたいと考えているのだ。

この心理描写を描ききったサガンのことを、モーリアックは「小さな悪魔(petit diable)」と呼んでいる。

 

すべてのシーンが美しい

舞台は海辺の別荘。登場人物は美男美女ばかり。映画のようなシチュエーションである。

そして文章がとにかく美しい。

アンヌとセシルがバタつきのパンを食べる食べないで言い争っているところも、父からすると「なんてシャルマンな光景だろう。二人のブリュネットの少女が太陽の下でバタつきパンのことを話している」となってしまう。

セシルがシリルとふざけながら海でキスをするシーンは焼け付く太陽が肌に感じられるようだし、パーティーのシーンではお腹に響く音楽や喧騒が聞こえてきそうだし、セシルがベッドで気だるげにタバコを吸ってジャズを聴くシーンでは本当にジャズが聞こえてきそう…。

まさに映画のような小説だ。

実際に映画化はされているが、フランスではなくアメリカ・イギリスが製作したもので全編英語。

ジーン・セバーグが子鹿のようでキュートですよね。

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いくつになっても発見がある!

私が初めてこの作品を読んだのはティーンエイジャーの頃。とにかくセシルの気持ちに感情移入して読んでいた。アンヌなんて、何を考えているのか全く分からない。セシルから青春を奪う悪魔め!くらいに考えていたと思う。

毎年毎年読んでいるうちにシリルの年齢になり、エルザの年齢になり…。

そうすると、セシルやレエモンの人生の危うさを感じるようになった。

今はちょうどセシルとアンヌの間くらいの年齢なのだが、アンヌの気持ちもよくわかるようになってきた。

40代になった私は、この本を読んでどう思うのだろうか?子供ができたら、感想は変わるのだろうか?

ずっと手元に置き、自分の成長を感じながら読みたい一冊です。