トーキョーブックガール

海外文学や洋書レビューを中心に、好きなことをゆるゆると書いています。

マリア・コダマという女

こんにちは、トーキョーブックガールです。

みなさま、ボルヘスはお好きですか?

好きか嫌いかと言われると、好きなのか?と自分でも考え込んでしまう私笑。

好き嫌いが語れるほど読み込んでいるのかと言われればこれまた疑問が残るが、その膨大な知識量に裏打ちされた言葉からキラキラとこぼれだすような人間の歴史、書の歴史が迷宮を形作っていて、その中で彷徨うのが私にとっての何にも代えがたい楽しみであり喜びでもある。

初めて読んだボルヘス作品は『アレフ』で、今でも一番大切な本。 

アレフ (岩波文庫)

アレフ (岩波文庫)

 

さて、ボルヘスを読むようになるよりずっと前。子供の頃に母のファッション雑誌で見かけて、非常に心に残った写真があった。それがこちら。

ボルヘスと晩年の妻、マリア・コダマを映した写真。

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老齢になってもピシッとスーツを着こなしたボルヘスと、いつも白い服を着てアルカイック・スマイルをその端正な顔に浮かべているマリア。

二人の明らかな年の差も相まって、幼い私の頭の中に残ったのだった。

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ということで、今日はマリア・コダマについて書いてみたいと思う。

マリア・コダマは1937年生まれ。ボルヘスは1899年生まれなので、年の差は38歳。

アルゼンチンで、日系の父とドイツ系の母の間に生まれた。学生の頃ボルヘスの作品および講義に深く感銘を受け、ボルヘスの母親の死後(ボルヘスは母親と同居していた)は亡母に代わり、ボルヘスの秘書となる。

また、すでにほとんど盲目となっていたボルヘスが海外へ行く際はサポート役としてついていき、著書の口述筆記も手がけるように。

ボルヘスとの共著本も出版している作家でもあり、翻訳家でもある。

共著本は、"Breve Antología Anglosajona(アングロサクソン短編集)*1"と

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 ボルヘスとの旅行記、"Atlas"の2冊。

Atlas

Atlas

 

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ほとんどの写真で、マリアは真っ白な服を着ている。

髪の毛も染めず、年の割にほぼ真っ白に近い銀髪。もしかするとわざわざ脱色さえしていたのかもしれない。

これはすべて目が見えないボルヘスのため。

フィガロジャポン支局長・村上香住子さんの本の中にも、マリアについての記載がある。

フィガロ発パリ毎日便――ちょっとセレブなパリ

フィガロ発パリ毎日便――ちょっとセレブなパリ

 

11月△日

ブエノスアイレスから、マリアがやってきた。夏に、ヴェネチアでヴァカンスを一緒に過ごしたけれど、あの時以来だ。

マリア・コダマ・ボルヘスは、文豪ホルヘ・ルイス・ボルヘスの未亡人で、日系なので、ちょっとオリエンタルなところもあるせいか、一緒にいるとよく「姉妹?」と言われる。

マリアとの初対面は、10年くらい前。ホテル・ニューオータニの通路で、ほとんど盲目のボルヘスは、白いドレスを着た彼女の肩に手をかけて、ゆるゆると歩いていた。後で聞いたら、ボルヘスは白い色しか見えないので、マリアはいつも白いドレスを着ていたのだという(猫も白猫だった)。

パリにいる間は、終始会っているけれど、どんなに仲良くなっても、あの時のミステリアスな白いドレスの女性という、強烈な印象が忘れられない。

ボルヘスのスーツもマリアが選んで着せていたそうで、その際は「○○の絵に描かれているグレーよ」という風に、色を説明していたのだとか。

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ボルヘスとマリアが結婚したのは1986年。パラグアイで入籍した。当時のアルゼンチンでは離婚を認める法律がなく、ボルヘスは数十年も前のこととはいえ別居中の妻がいたためパラグアイでの結婚となったのだ。

その時ボルヘスはすでに病気を患っており、2ヶ月後にスイスで亡くなった。

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ボルヘスの遺産や作品に関しては、マリアが全権を譲り受ける形となる。

そういう意味で、彼女は非難を浴びることも時折あるようだ。

たとえば「ボルヘスはアルゼンチンに埋葬されたがっていた」と、アルゼンチン国民が遺体をブエノスアイレスへ戻すように要求した際、マリアは「そのように話していたのは1960年代のこと。晩年にはスイスに移住し、スイス人になることをのぞんでいました。後年のインタビューを確認すれば分かることです」と反論し、これを拒否。

また、ボルヘス英語圏での成功は、翻訳者のノーマン・トーマス・ディ・ジョヴァンニの功績も大きいと言われているのだが、マリアはその契約も解除。ボルヘスの英語訳本は、ボルヘスとディ・ジョヴァンニが意見を交わしながら作り上げたもので、内容の修正や変更もかなり多く、ディ・ジョヴァンニの貢献度は高かったにもかかわらずである。英語訳本の印税は、ボルヘスとディ・ジョヴァンニの間で半分に分けるとされていたのですが、マリアはこれを全て白紙に戻してしまった。

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本当のところ、何があったのかは分からないが、彼女がボルヘスの一番近くにいた人物であることは確か。ボルヘスを支え続け、その影で、彼だけのための太陽になると決めて生きた女性なのだと思う。

マリアは今も、精力的にボルヘスの魅力を世界に伝える活動を続けている。

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こちらで2015年当時のスペシャルインタビューも読むことができる。

www.afpbb.com

マリア・コダマは時折日本を訪れていて、セルバンテス文化センター等でボルヘスに関する講演を行っている。ボルヘスとマリアは1984年頃から日本語も勉強していたそうで、その辺りのお話もされることがある様子。

またニュースが入れば、ブログにてお知らせしたいと思います。

それではみなさま、今日もhappy reading!

*1:1978年出版、今は絶版のようです